どうも、つっつんです!
小学校の頃は母親のスパルタ教育が過ぎて、ともかく勉強が大嫌いでした。
「学校の勉強はどうせ社会に出たときになんの役にも立たない」と思っていて、自分が父親になったら、「子どもには絶対に勉強させない」と考えてました。
でも、最近になってその感覚は薄らいできて、学校で培ったものの中に役に立つことが結構あることに気づいてきました。
今回、僕が役に立ったなー思ったのは
「現代国語」と「英文読解」
です。
1、編集長は記事のタイトルと見出しを再考する
僕の仕事は「WEBメディアのディレクション」が主な仕事で、僕の役職をカッコよく言うと「編集長」であり、やってることを平たく言うと「原稿のチェック」です。
日々、ライターさんが書いてくれた記事の内容をチェックします。
僕が編集長をしているメディア↓
マンガタリ
(漫画愛溢れるライターさんが漫画の楽しみ方を提案するサイト)
DEEP神戸
(神戸をもっと楽しむための情報を届けるサイト)
書く前に記事案からチェックをしていますし、力のあるライターさんが書いてくれているので、構成が決まっていれば、内容に関してはほとんど言うことがありません。
ただ、
「タイトル」
「見出し」
に関してはかなりチェックを入れます。
タイトルはその記事を読んでもらえるかどうかが決まる部分であり、見出しは記事を読み進めるかどうかを決める部分だからです。
「面白そう!」と思って記事にアクセスしてもらい、「きっと面白いぞ!」と最後まで読み進めてもらう、そのためにタイトルと見出しに力を入れています。
2、「タイトル」と「見出し」は「本文にあること」から導き出す
ライターさんがいい記事を提出してくれて内容に問題がないときに僕がやることは、
「本文全部を読んでそれに見合ったタイトルを考える」
「見出しの下の本文を読んでそれに見合った見出しを付ける」
この2つです。
当たり前ですが、読者の人に読んでもらいたいからと言って、本文にないことをタイトルや見出しで表現することができません。
いわゆる「釣りタイトル」ってことになりますが、「釣りタイトル」だって本文にあることを「こうとも言えますよね?」と捻じ曲げて、ともかくアクセスさせるために煽るタイトルを付けているので、基本的には「本文にあること」から類推して考えています。
そして、僕の場合はできるだけ見出しで中身が分かるようにして、目次を見ただけでも読んだ気になれる見出しにすることを大切にしているので、
見出しは「本文で述べていることを簡潔に表現する」必要があります。
タイトルの場合は「本文で述べていることを32文字で表現する」ということになります。
- 「本文で述べていることを簡潔に表現する」
- 「本文で述べていることを32文字で表現する」
この2つのフレーズどっかで見たことないですか?
現代国語のみならず、国語のテストを受けた人なら分かると思うんですが、
- 「問1、・・・・〇〇文字以内にまとめよ」
- 「問2、・・・・本文中より〇〇文字で抜き出せ」
まさにこれなんですよね!
最近、仕事をしながら、
「これって現国やん!」って声に出して言っちゃいましたからね(笑)
そして、英語の長文読解も語彙力の部分を抜けば、結局やってることは現代国語と同じです。
つまり、僕の場合は
高校でセンター試験の点数を取るために必死に勉強していたこと
が、
WEBメディアの記事の編集にものすごい役に立ってる
ってことなんです。
勉強しててよかったー(棒)
3、今の僕があるのは「現国」と「英文読解」を勉強したからなのかもしれない、、、
思い返してみれば、ライターさんに「なんで堤さんはパッと記事読んだだけで直さなきゃいけないところが分かるんですか?」って聞かれたことがあって、
- 「堤的WEBライティング3種の神器を読んだから」
1、沈黙のWebライティング
2、20歳の自分に受けさせたい文章講義
3、入門 考える技術・書く技術――日本人のロジカルシンキング実践法 - 「他のサイトの記事を読みまくったから」
- 「1年くらいオウンドメディア構築のプロのとなりでお手伝いしてたから」
- 「設計図を書いたり、パズルを解いたりするのが好きだから」
って答えてたんですが、
もしかすると、
高校のときに現国と英文読解でロジカルに文章を捉える勉強をしまくってたから
なのかもしれません。
しかも、僕は現国と英文の読解好きだったんですよねー
特に英文読解は単語の意味が分からなくても、周りにある意味の分かる単語と接続詞の場所から意味を類推して解けたときに快感を覚えてたので、ザーッと読んで大事なところを汲み上げて、クリティカルな解答を出すというのが、得意なのかもしれない。
4、まとめ
今回の話は「この世に無駄なものなんて1つもない」って言葉で片付けれそうな話ではあるんですが、
「自分が何かを成し遂げるために努力して、ある水準を満たし、結果が伴ったもの」
というものは嘘をつかないようです。
結果が出るまで努力したことっていうのは、その能力を身につけてるわけで、何か違う分野でもその能力は応用ができて、役に立つみたいです。
それが「将来どうせ役に立たないだろう」って思ってることでも、何かに繋がってるかもしれないから、目の前にあることがやりたいかどうかはとても大事なことだけど、
自分の未来を信じて、とりあえず結果を出してみる
というのは、とてもいいことかもしれない。
もし、自分の子どもがそういう場面に直面したときは、コソッとアドバイスしてあげようかなと思います。
つっつん